赫蟲





夏火


 甲板に出て先ず感じたのは、肌寒さを覚える程に湿気を含んだ空気だった。
 次は秋島か春島なのだろうか、
 朝食のメニューを考え直しながら、キッチンの入り口に掛けた温度計に目を遣る。
「……」
 温度計が示して居たのは、昨日と大差無い、汗ばんで居ても可笑しくは無いような気温だった。


「お早う。」
 平生よりもはっきりとした声で言いながら、(機嫌が良かったり眠そうだったり、天候や前日の出来事によって差は有るが、こんな風にシリアスな雰囲気で起きて来る事は先ず無い。当たり前だ。)ナミがキッチンのドアを開ける。
 そして、先刻サンジがしたのと同じ様に温度計に目を遣る。
「矢っ張り。」
 小さく呟く。
「お早う、ナミさん。」
 サンジにしても普段通りに朝の挨拶を交わせる雰囲気では無かったから、何処と無く低い声になって居た。
「……ナミさん、」
 もう一度、名前を呼ぶ。
 聡い彼女は、其れに続く言葉を聞く前に、首を横に振った。
「分からないの。まさか部屋の温度計がイカれたのかしらと思ったのだけど……、」
 軽く握った拳を口元に遣り、眉を顰めた。
「こんな事、初めてだわ。幾ら実際の気温と体感温度は違うものだからって、こんなに差が出るなんて……。」
「コンパスだけじゃ無く、計器迄狂う海域なのかも知れないわね、」
 ナミの言葉に被さって、ロビンがドアを開けた。
「お早う。」
 サンジの声に、ロビンはにこり、と笑みを返した。
「計器迄って、そんな海域も有るの、」
 驚いた様な表情でナミがロビンを振り返る。
 かちゃり、
 最低限二人の会話の邪魔にならないように、サンジはナミとロビンの定位置にティーカップを置いた。
「さあ……聞いた事は無いけれど、有り得ない話では無いんじゃないかと思って。」
 椅子に腰掛けながら、「御免なさいね、」とナミに首を傾けた。
「……そう。」
「後で船医さんにも聞いてみたらどうかしら。私も船医さんも、専門では無いから余り頼りにはならないでしょうけど、」
「其れでも、グランドラインで生活して来た人が居るのは心強いわ、有り難う。」
 こう言う時、此の船の、特に女性陣は事実以上のフォローをしない。
 元々現実的な思考回路を持った性である上、彼女達の職業柄も有るのだろう。
 そう言えば、ビビにもそう言う所は有ったな、とサンジは苦笑した。
 それぞれ性格はまるで違うのに、彼女達は変な所でそっくりだ。
 まあ、彼女達に言わせれば男共だって同じなのだろう、自覚して居ないだけで。
「……っと……、」
 つい関係の無い方向に向いてしまった意識を戻して、ロビンのカップの側にミルクの入った小さなピッチャーを置く。
 ナミのカップには予めジャムを入れておいた。
「有り難う。」
 そう言って、ナミも椅子に腰掛ける。
 根は複雑だが、其れ以外の大部分が大雑把に出来て居る料理人は、其れだけで割と十分に、幸せだったりもする。
 閑話休題。


「うおおおおおお寒いな!!」
「だったらもう少し頭使って服選びなさいよ。」
 何の役にも立たない、と容赦無く判断された狙撃手は、ナミの冷たい一言にこっそりヘコんで居た。


「サンジ、肉ッ、」
「お前が時々凄く物羨ましくなるんだが多分俺が血迷っているだけなんだろうな。」
 時折、誰も太刀打ち出来ない程の野生の勘を働かせる船長だったが、今回は引っ掛からなかった様だ。
 サンジが一つ、溜め息を吐いた。


「ごめん、俺も分からないんだ。でも、何かムズムズする。」
「そう、でも、船医さんは私達よりずっと感覚が鋭いから、何か気付いたら教えて頂戴ね、」
「分かった。」
「頼りにしてるわ、」
 ロビンに微笑みかけられ、船医は文字通り、舞い上がって居た。


 朝食と言うには少しばかり量の多いメニューがテーブルに並ぶ。
 女性陣にはポテトフォカッチャのサンドイッチと、海老と苺を混ぜたサラダ、残りの連中には日にちの危うい食材をまとめて、最早料理名など作った本人にも分からない代物を足した。(料理人にあるまじき、と思うならば一度此のキッチンに立ってみろ、とサンジは思う。)
「頂きますッ、」
 相変わらず気持ちの良い挨拶で、朝食が始まる。
 そうして、サンジは一通りの給仕を終えて、キッチンを見渡す。
 一つだけ、妙な存在感を発して居る空席に、深い溜め息を吐く。
「ったくあの寝腐れ腹巻き……。」
 ぽつり、と呟いて、ドアの方を見る。
「ルフィ、人の飯に手出すんじゃねえぞ。」
 仮にも十六歳の人間にわざわざする忠告では無い。
 だが、恐ろしい事に此が説教に変わる事すら日常茶飯事である。
 自分の村に来た時は此処迄食い意地は張って居なかった、と言うウソップの言葉をサンジは信じて居ない。


 ざわり、
 湿気の強い風に蜜柑の葉が揺れる。
 温度計の異常を除けば、何の事は無い、只少し不快なだけの気候だ。
 其れなのに、五感全てが(もしかしたら第六感すらも)異常だけをサンジに伝える。
 何でも無い風に階段を降りながら、サンジの目は何もない虚空に向けられて居た。
 かつん、
 革靴特有の硬質な音を立て、男部屋に続くハッチの上に立った。
 履いた靴を慣らす時の様に、其の爪先を二、三度鳴らす。
「とっとと起きろ、食いっぱぐれるのは勝手だが俺に面倒かけんじゃねえ。」
 足元に向かって言う。
 其の気になれば、此の船が沈む様な嵐の中でも眠って居られるような男でも、一応生活のリズムと言うものは有るらしい。
 少しの間が有って、マストを利用した梯子を登って来る気配を感じる。
 いまいちサンジには理解し難い事なのだが、寝汚いと言うのと寝起きが悪いと言うのは少々違うらしい。
 サンジが一歩下がってハッチから避けると、直ぐにゾロが頭を出した。
「……何だ、」
 ハッチを開けるなり、怪訝そうに眉を顰め、辺りを見回した。
 其の様子にサンジが苦笑する。
「チョッパーはいつもより随分早く起き出して来た。トナカイ人間に直感で劣るようじゃ未だ未だだな。」
 くるり、其のままゾロに背を向けキッチンへと歩き出す。
「おい、何だか分かってんのか、」
「いや、ナミさんにも分からねえらしい。事の重要性が分かったならとっとと来い。」
 ちらりと顧みたゾロは、全くの偶然であろうが、先刻のサンジとまるで同じ方向を見て居た。


 サンジがキッチンを出て、未だ数分しか経っては居ない。
 其れなのに一変したテーブルの上の景色に、いつもの事ながらサンジは目を疑った。
「何時間掛けようがこいつ等にかかればなあ……。」
 多少の空しさは否めない。
 足早にシンクに向かい、避けておいた朝食をゾロの前に置いた。
「サンジ君、」
 其れでは女性達に食後の一杯を、と思った所でナミに声を掛けられた。
「一寸調べてみようと思うの。アラバスタで貰って来た本でも、読んで居ないのが幾つか有るし。其れで……」
「うん。分かった、こっちは任せて良いよ。何か有ったら直ぐに呼ぶから。」
 皆まで言わせずに答える。
「有り難う。ロビンとチョッパーにも頼んでは居るんだけど……。」
 其の言葉に、サンジとロビンが困った様に笑う。
「仕方無いわ、私達三人合わせても航海士さんには劣るもの。」
「素直に誉め言葉としては受け取りにくいわね。」
 顔を見合わせて笑うナミとロビンに、其の死角で剣士は思い切り不快そうにして居た。
 まあ、普段から反りの合わない(周りから言わせれば極めて一方的なものであるが)ロビンに、役立たずの数にすら入れられなかったのだ。
 所で役立たず以下、と言うのを指す言葉は有っただろうか、とサンジは苦笑した。


 其れに当たって、ナミが義務づけたのは一つ。
 サンジ、チョッパー、ロビン以外は絶対に長時間外に出ない事。
 理由はナミにすらも分からない。
 只、そうした方が良いと、其れだけははっきりとして居る、と彼女は言った。
 航海士としてのナミの勘を疑う命知らずは此の船には居なかった。
 ルフィは幾分不満そうにして居たが、だからと言って逆らう気も無いようだ。
 朝食の片付けを終え、昼食迄の時間を潰そうと、サンジはキッチンを出た。
 朝よりは多少、気温が上がって居る。
 違和感は、矢張り消えない。
 キッチンから続く階段を降り、マストを越えた向こう、船首の近くの手摺りに手を置いた。
 嫌な予感がする。
 ナミよりも長い間、船の上で生きて来た。
 其の大部分は、指示を出される側ではなく、船員達の動きを統括する位置に居たのだ。
 取り出した煙草を口に銜え、不安げに顔を顰めた。
「おい、」
 其の背中にかけられた声に、其の表情を平生のものに差し替える。
「何だよ。外に出んなってナミさんに言われてんだろうが。」
「出てねえだろ。」
 掛けられた言葉に、ゾロは倉庫のドアを指差す。
 確かに、ドアを開けて、其処から外に向かって声を掛けただけだ。
 だが、ぎりぎりで子供の頓知だろう、此は。
「何だよ。所で何だってそんな所に居るんだ、」
「酒。」
「はァ、」
「外に出られねえからする事がねえんだよ。寝てやり過ごそうとしたら、此だ。」
 そう言って、上空を見上げる。
「気になって眠れやしねえ。」
「寝てたじゃねえか、朝。」
 サンジが鼻で笑う。
 其のまま五分は続きそうな憎まれ口を、「うるせえ、」とゾロが遮る。
「まあ、良いけどよ、だからって酒って幾ら何でもオッサンだろ。」
「放っとけ。」
「取り敢えず盗み飲みしなかった事は誉めてやるよ。」
 くすくすと、さも可笑しそうに笑う。
「一本だけだからな、午前中だぜ、未だ。」


 かつん、
 音を立てて歩き出す。
 船首に背を向けた、其れから多分五秒も経って居ない。
 背筋を襲った寒気が、其のまま凍り付きそうなサンジの口を動かした。
「ドア閉めろッ、」
「アァ、」
 ゾロが眉を顰める。
「良いから言う通りにしやがれッ、」
 サンジの剣幕に、ゾロも何かに気付いたように表情を変えた。
 舌を打ってサンジが駆け出す。
 間に合わない。
 わざわざ喋って居る暇は無い。
 サンジは只、倉庫の前に立つゾロの背後を睨みつけた。
「食料潰す気かッ、」
 其の声と同時に、勢い良く倉庫のドアが閉まる。
 未だだ。


 瞬間。
 船を赫が覆った。


 大丈夫だ、死ぬようなものじゃない。
 サンジに分かったのは其れだけだ。
 駆けた勢いのまま、倉庫のドアに背中を押しつける。
 ドアの向こうで、ゾロが何かを叫ぶのが聞こえる。
 其れでも。
 食料を失う事の意味を、お前はもう知って居るだろう、
 全体重でドアを押しつけ、片腕で鼻と口を覆った。
 赫が目に飛び込んで来る。
 恰も、数万匹の蛍の様な其れ等は、何もかも、サンジすらも通り抜けるように飛び回った。
 其れは多分、一分に満たない時間。


「  」
 サンジが目を見開く。
 ぽたり、其の頬を一筋、滑り落ちた。




零火


「有った。」
 彼女が放った本が散乱する女部屋で、ナミが呟いた。


「赫蟲。」
 キッチンのテーブルにぱしん、と一冊の本を置く。
 そして、テーブルから離れて治療を行うサンジとチョッパーを横目に見た。
「チョッパーなら知って居るかも知れない。」
 突然に出た自分の名前に、チョッパーがくるり、振り返る。
「どう、」
「……うん、其れなら、名前だけ知ってる。」
「簡単に言えばスモッグの一種よ。一箇所に或る気体が発生する。其れが、まるで小さな赤い虫が寄って集まったみたいに見えるから、此の名前が付いたらしいわ。」
 ルフィとウソップが軽く九十度、首を傾げ、ゾロが眉を上げる。
「……要するに、不思議空気よ。」
「そうか。」
「分かったの、」
「おう。不思議空気だな。」
 溜め息を吐きながら、ナミは額を手で押さえる。
 まあ、全員が全員、使える必要は無いのだ。
 もう少し悪びれても良いでしょうと思うだけで。
「其れで、コックさんは大丈夫なのかしら、」
 テーブルに頬杖をついて、ロビンが言う。
 先刻のナミと同様、視線はサンジに向けられる。
「……ええ。皮膚と目の炎症、後は殆ど吸わずに済んだから、喉が多少荒れた位ね。」
「そう、」
「皮肉な話だけど、最小限の被害だわ。最悪、食料が全滅する可能性だって有ったのよ。」
 赫蟲がゴーイングメリー号を襲ったのはたったの十数秒。
 其のたった十数秒で、此だけの被害を残したのだ。
 風向きによっては食料が侵される事も有り得た。
「だからって。」
 ナミが顔を歪める。
 サンジの判断は何一つ間違っては居ない。
 赫蟲は生物よりも、死んだ動植物に被害を与える。
 そして、生物に関して言えば、触れるよりも空気や食料として体内に取り込む方がより被害を大きくする。
 多分、サンジはそんな事は何一つ知らなかった。
 だからこそ、
「頭に来る、」
 呟いた言葉は誰にも届かずに消えた。
 其の言葉を振り切ろうと、軽く頭を左右に振った。
「サンジ君は心配要らないわ。全治三日って所じゃないかしら。どう、チョッパー、」
「うん。もしかしたら明日には治って居るかも知れない。」
 安心させようとして居るのだろう、チョッパーがにこりと笑う。
 其れにつられて、ナミも少しだけ笑った。
「其れじゃあ全員解散ッ。ルフィ、蜜柑の木を一応水で洗いたいから手伝って頂戴。後は皆、見える範囲で良いから甲板をお願い。チョッパーも、治療が終わったら其れに混ざって、」
「分かった。」
 立ち上がりながら、ぱたんと本を閉じる。
 其の表紙に右手を置いたまま、ナミは睨みつける様に其の表題を見た。
 皆には、言わなかった事が有る。
 其の余りに突飛な記述に、ナミ自身が信頼を置けなかった所為だ。
 しかし、其れがもし事実だとしたら。
 ナミは無意識に唇を噛んだ。
 赫蟲が発生して、異変に気付いて女部屋を出た時には既に全てが終わってしまっていて。
 其の間、サンジは一度も目を開かなかった。
 そして、一度も声を発さなかった。
 赫蟲による目と喉の炎症の所為だと思って居た。
 でも、もしも。
「チョッパー、一寸だけ、外で待って居てくれる、」
「……う、うん。」
 キッチンを出るクルー達を見送って、ナミはサンジを振り向いた。


「サンジ君。」
 サンジの目には包帯が巻かれて居た。
 其の奥に在るサンジの目を見る様に、ナミはサンジを呼んだ。
 サンジが小さく口を開く。
 ナミは其の一齣一齣を目で追って居た。
「ナミさんが思って居る通り。だから、」
 ナミが眉を寄せる。
「……分かったわ。だったら、此処じゃ不味いわね。私達の部屋で良いかしら、」
「まさか、格納庫で十分だよ。」
「……そう、」
 目が見えなくても、困った様なサンジの表情は良く分かる。
「だから、お願い。」
「ええ、あいつらには言っておく。」
「有り難う。」
「本当は、怒って居るのよ、」
「うん。」
「言わないだけで、皆怒って居るの。」
「御免ね、」
 其の声音に、少しだけナミは泣きたくなった。


 キッチンを出ると、直ぐに心配そうなチョッパーと目が合った。
「入って良いわよ、」
 ナミの笑みに、「そうか、」とチョッパーは表情を崩した。
 チョッパーの足音を聞きながら見回せば、直ぐにゾロの背中を見つける。
「ゾロ、一寸良いかしら、」
 手招きしながら名前を呼ぶ。
 普段なら間髪入れずに帰って来る筈の文句も無く、無言でゾロは階段を上って来る。
「俺も、聞きたい事が有る。」
「分かって居るわ。でも、こっちが先。」
 ナミは手摺りに背を向けて、其れにもたれ掛かる。
 ゾロを見れば、言葉を促す様に顎で此方を指した。


「赫蟲の説明は先刻行った通り、間違いは無いわ。意外な位ね。」
 ナミの言葉に、ゾロが眉を顰める。
「意外、」
「言わなかったけれど、赫蟲の発生は多くて百年に一度。言い訳をさせて貰えるなら、私が事前に突き止められなかったのは其れが原因よ。蛍の様な赤い光、で初めて気が付いたもの。だから、其の影響に関する記述も、百年近く前のものなの。だから、多少の齟齬は有るだろうと思って居たの。」
「其れで、」
 躰は手摺りに預けたまま、顔だけゾロに向ける。
「馬鹿みたいな話をするわ。或る地域でね、他の場所とは比べものにならない程、赫蟲が発生するポイントが有るの。と、言っても、何百年に一度は必ず発生するって位よ。其のポイントと群島が重なって居るんだけど、」
 ゾロが僅かに肩を竦める。
 けれど、決して水を差して来ないのは、此が決して無関係な話ではないと、或る意味でナミを信用して居るからだ。
「其処は過去、幾度も近隣の国に支配されて居るの。他の地域とは違った信仰を持って居たし、文化も独特だったから、そう言う意味でも支配を受けた。だから、其処で遺跡や遺物を見つけたら、私でも大体の年代が特定出来る位に文化は二転三転したわ。……文化だけね。彼等は、どんな強制を受けても、其の信仰だけは変えなかったのよ。」
 其処で、すう、と息を吸った。
「其れが、シャーマニズムよ。此処からはロビンの受け売りだけれど、彼等の抵抗は尋常なものじゃなかった。まるで、目の前で奇跡を見てきたとでも言うかの様に、時には支配者の信仰すら揺るがしてきたの。実際、彼等には数百年に一度、目に見える形で救世主が現れて居た。分かるかしら、数百年に一度。何百年に一度は、必ずよ。」
 ぴくり、ゾロの腕が僅かに動いた。
 繋がりだした事象に、ゾロが注意を向けて来た事がナミにも分かった。
「正確に言うと、誰かが救世主……預言者になるの。数日の間だけ。預言者は、見た者全ての思考と未来を当てたと言われているわ。万に一つの間違いも無く。目に入った者は全て。」
 そして、吐き出す様に、ナミにとって決定的な言葉を吐く。
「其の地域では、赫蟲は予言者が現れる前触れなんだそうよ。」


「ルフィ、明日迄、サンジ君に近付かないであげて、」
 姿を見つけるなり継げた言葉に、ルフィが二、三度大きく瞬きした。
「ん、分かった。」
「聞かないのね、」
「そう言う顔してる時のお前は、大体聞いても教えてくれねえからな。」
 でも、其れで騙された事も無えから、良いんだ、と当たり前の様に笑って言う。
 其の余りに真っ直ぐな様子に、思わず笑みが零れた。
「サンジ君が、あんたの未来を見ちゃうから。だから、あんたとゾロとロビンはサンジ君に会っちゃ駄目。」
「何でだ、別に見えたってどうでも良いだろ、」
「あんたは良いでしょうよ。どんな望まない未来が見えたって、未来なんて決まってないって言って其れで終わりなんだから。でも、良かれ悪しかれ、其れを見せられたサンジ君はどうなるの、」
 少し考えて、ルフィが中途半端に首を傾げた。
「何であんたとゾロとロビンが駄目か、分かるかしら、私達はね、此のまま行けば嫌でも叶う夢を見て居るわ。でも、あんた達は其れとは一寸違うでしょう、」
 言い方が悪かったのだろうか、ルフィの首の角度が大きくなる。
 首を曲げられるだけ曲げて、そしてぱっと、元の位置に戻した。
「取り敢えず、サンジが困るから駄目なんだろ、分かった。頑張って近付かねえようにする。でも、」
「でも、」
「明日迄だ、其れ以上は俺が困る。」
 本当に途方に暮れた顔をしたルフィに、今度こそ、不謹慎でもナミは声をあげて笑った。


 多分、あの時ナミに呼ばれて、サンジは初めて瞼を開けたのだろう。
 治療の際に目を開いて、見えたもので全てを察して。
 其れなのに、名を呼ばれて目を開けてしまった。
 包帯で目を覆ったって、物の輪郭位見える。
 包帯は視界を奪う為の物ではなかったから。
 そして、ナミの思考を見てしまった。
 だから、あんな風に、まるで忠告の様に言ったのだ。


 多分、あれから本当に一度も、サンジは目を開けて居ない。
 仲間の為に、
 何より、自分を視界に入れない為に。
 どうして、よりによって彼に、そんな能力が与えられてしまったのか。
 ナミは誰にも分からぬ様に、唇を噛んだ。


 夕食はナミとロビンが担当した。
 サンジの料理に慣れきった彼等には相当物足りない物であっただろうし、作った本人達も同意見であった。
 サンジは皆の予想通り、態とらしい程喜んで見せたが、其れ位だ。


 がちゃり、
 音を立てて格納庫のドアが開く。
 洋燈の明かりの向こうに、急拵えの寝台に腰掛けるサンジが居た。
「寄るな。」
 其の気配に直ぐに気付いて、包帯で覆われた顔が此方を向く。
 其の言葉に、ゾロは僅かに眉を顰めた。
 夜になって今更、温度計通りの体感温度になり始めて居た。
 汗ばむ程の夏期の夜に、サンジも、上半身はシャツ一枚を無造作に羽織るだけだった。
 其処から覗く躰は、首から下、包帯で覆われて居ない部分を探す方が難しい。
「寄るな。」
 其れを無視して、一歩、二歩、近付く。
 砲撃用の窓からそより、吹いた風に、恐らくチョッパーが塗った、軟膏の匂いがした。
 ゾロが視界に入る事を恐れてか、サンジが俯く。
「馬鹿が、」
 小さく呟いて、ゾロは其の後頭部を思い切り掴んだ。
「んがっ、」
 勢いで三十センチ程沈んだ頭部から、間抜けた声が漏れた。
「何、しやがるッ、」
 サンジが力任せに起き上がり、ゾロの腕を払う。
 そして其の瞬間、包帯に覆われたサンジの目と、ゾロの視線が合ったのが分かった。
「 」
 サンジの動きが止まる。
「何が見えた、」
 ゾロの台詞に、サンジの身体がぴくり、と動く。
 ゾロの手が包帯の留め具に伸びる。
 見開かれたサンジの目は、あの時ゾロが一瞬だけ垣間見たのと同じ赤をして居た。
「どっちにしろ、下らねえだろ、」
「あァ、下らねえ。」
 サンジが顔を歪める。
 其の声は平生で有れば気付かぬ程微かに震えて居た。
「お前が何を見ようと、其れは所詮過去なんだよ。」


「そうじゃない。」
 其れから暫くの間が有って、サンジがぽつりと言う。
「そうじゃ、ないんだ。」
 自分から決して目を離さないサンジが居たたまれずに、ゾロは其の躯を抱き寄せた。
 気温の所為か其れとも、平生よりも少し、彼の体は熱く感じる。
「俺には、お前の未来なんか見えない。」
「だったら其れで何の問題も無えだろ、」
「見えないんだよ。なのに、」
 何故か、其れ以上サンジの言葉をゾロは聞けなかった。
 無意識に力を込めた腕の中で、其れでも一つだけ、聞き取ってしまった。


「なのに、此は何だ、」


 其の真意は結局分からない。










 平生の週間で夜明け前に目を覚ましたサンジは、其の時点で自分が全快した事を知った。
 恐らく赫蟲の被害の記録を塗り替えたのだろうが、今更そんな事で驚く様な連中では無い。
 其れから先、其の一日の不可思議な出来事が話題に上る事は無かった。


 不意に、サンジが航路を後ろに振り返る。
 ちりり、
 何かが焦げる様な音が遠くでした。



お……終わった!!!
あーもう長い長い。
「赫蟲」と言う現象は、私が高校の時から持って居たネタの一つです。
赫脚とは一切関係有りません。