あざやかなまま






 此の道を選んだ其の瞬間は、実を言えばもうはっきりと覚えては居ない。
 唯、其れでも、其の瞬間の高揚感は今も尚、まるであの頃から何も変わって居ないかの様に思い出せる。

 否、
 思い出してなど居ないのかも知れない。
 死を覚悟した瞬間でさえ、口をついた其の夢は私を、
 歓喜に近い感情に導いて居たのだから。



 其の本を手に取ったのは、実に二十年振りの事だった。



 此の島は、グランドラインの島々の中ではむしろ稀有な程に平和で平凡、
 本質的に物騒を好む船長と剣士は期待外れ、と言う顔をして居たが、其れ以外の面々は滅多に無い補給のチャンス、と街へ散った。
 其の時、料理人が言って居た。
 今回の航路は予想よりも順調に進んで居た為、特に食料に余分が出た。
 どの道、加工品以外はそっくり仕入れなければならないのだから、今日の夜は宴会にする、とか。
 其の事自体は特に不思議ではなかったのだ。
 まあ、其の余剰分が、普通の七人ならゆうに三日分はあった事が、らしい、と思えた位で。



「ロビンちゃん、」
 そんなつもりは無かったのに、いつの間にか、字を追うのに夢中になって居た。
 背後からかけられた声に、驚いて振り返る。
「コックさん、」
「ごめん、驚かせたかな、」
 困った様に笑う其の手には、レシピ集と思しき本が握られて居る。
 目が行ったのはお互い同じだったのか、
「其れ、考古学の、」
 広げたままのハードカバーを彼は指差した。
「ええ。入門書。」
「入門書、」
「そうよ。」
 不思議そうにするのも無理は無い。
 其れはもう、自分にとっては必要の無いものなのだから。
「へえ、学者も、偶に戻ったりするもんなんだ。」
「戻る、」
「違ったかな、俺とかはさ、結局やって居る事は基本の延長だから。」
 簡単なメニューが一番難しいとか、言うだろ、
 言いながら、ページを覗き込む。
 其の仕草に何故か、ぱしん、と本を閉じる。
「そう言うものでは、無いわ。」
「そうなんだ、」
 少しだけ硬くなった声に気付いただろうか、彼が姿勢を戻す。
「ずうっと昔にね、何度も読んだの。一字一句、迄は無理だけど、此れと似た様なものなら自分でだって書けるわ。」
 だから、そう言うものじゃないのよ。
 繰り返すと、彼は、ふうん、と首を傾げ、
「なら、どうして、」
「そうね、」
 くるり、と表紙を上に向け、箔押しの題字を指でなぞる。
「手に取ったのは、本当に偶然だったのよ。ああ、久し振りだなって。」
 そうして、ぺらぺら、斜め読みして居たら、
 其のまま夢中になって居た。
「其れだけよ。」
 何故か無性に、惹かれて。



「ああ、そうね。」



「故郷だったんだわ。」


 此れが、私の。



「ねえ、ロビンちゃん、」
 じっと、此方を見つめる彼の視線に我に返る。
「なあに、」
「其れ、贈っても良いかな、」
 ほんの少しだけ、照れた様に、
 其の表情が、先刻の航海士の其れに少し、似て居た。
「知って居たの、」
 他のクルー達は明らかに知らない様子だったけれど、
「誕生日の事、」
「ええ。」
 教えた事があっただろうか、
 自称恋する料理人、なら、其れ位は勝手に察するものなのか、其れとも。
「だって、仲間になった時言ってたでしょ。」
「言ったかしら、」
「ウソップに。」
「……ああ、」
 あの時は本当に警戒されて居たから。
 根掘り葉掘り聞かれる事柄に、次々と答えて、
「覚えて居たの、」
「愛するレディーの事はね。」
 呆れた。
 思わず、笑みが漏れる。
「有り難う、でも、此れはいいわ。」
「そう、」
 残念そうに、其の眉尻を下げる。
「本当に、そう言うものじゃないのよ。」
 言いながら、本を棚に戻す。
「そんなに年中、帰るものじゃないでしょう、」
 偶然に、出会う位で丁度良い。
 私達が目指して居るのは、そんなものではないのだから。
「そっか。」
 其の表情を見て、浮かんだのは悪戯心だろうか。



「ねえ、コックさん。」



「其の代わり、貴方のも見せて頂戴。」
「俺の、」
 きょとん、と、目を開いて、自分を指差す。
「貴方にも在るでしょう、こう言うの。」
「見れたもんじゃねえよ、」
「でしょうね。」
 じっと彼を見れば、誤魔化す様に頬を引っかく。
 其の、思った以上に子供じみて見えた仕草に、笑った。
「ガキの頃のだから。書き込みだらけだし、字も汚えし、」
「構わないわ、」



「だって、そう言うものでしょう、」



 すんなりと、私の手を離れた俄仕立ての故郷に、足りないものを思い出した。



 さよなら。
 又訪れる時が、こんな風であったら良い。



 其の瞬間の事は、其れでも矢張りはっきりとは思い出せない。
 唯、
 其れから今まで続く感情が、一度も途切れなかった事だけは、
 思い出すまでも無く、此の体が知って居た。



ロビンちゃん、お誕生日おめでとうございます。
本当は、もう二つ軸になるものがあったのですが、何だか書いて居る間に鬱陶しくなったので消しました。
其のうち使い回すかも知れません。
兎に角ロビサンにならないように、気をつけたつもりなんですがどうなんでしょう。
ロビンちゃんの夢は、サンジさんに似ているように見えて、根底はゾロに近いんじゃないかと言うのが此の話のきっかけなのですが、
書いていたらテーマが変わってしまいました。
こっちも其のうち書きたいなあ。