本音と水音

船を寄せた其の島は、深々とした雪に覆われて居た。
穏やかな港の雰囲気に、ウソップの例の持病は発生しなかったようで、碇を降ろすなりルフィと共に何処かへと消えていった。
ログが溜まる迄は凡そ一週間程。
ならば買い出しを急ぐ必要も無く、自ら留守番を買って出た。
一人になった船に降る雪は、一層静かで、自らの動きで時折鳴る物音や、港の喧噪を、遠い異世界の様に感じさせた。
冬の寒さは苦手だが、冬其のものは嫌いではない。
一人で聞く雪こそ静かで惑わされた様な気になるけれど、元々何に対しても騒がしい連中と共に居るのだ。
実害の無いものに対しての好き嫌いなど、気付かぬ内に消えてしまう。
どうして居るだろうか、
不意に頭をよぎった疑問に、戸惑った様に首を傾げた。
対象が分からずに眉を顰め、止めた。
答えなど、要らないのかも知れない。
昔から余計な事を考え過ぎる性分だ。
其れで良い目を見た試しも無い。
雪の雰囲気に呑まれただけだ。
其れで良い様な気がした。
其れに。
やるべき事をあらかた終えて、テーブルに寄りかかって煙草に火を付ける。
其れと同時にキッチンのドアがカチャ、と開かれた。
「あ、お帰り。ロビンちゃん。」
入り込む冷たい外気に、ロビンの真っ直ぐな黒髪が揺れた。
反射的に煙草を消そうとしたが、テーブルに咲いた彼女の手が、軽く手を掴んで其れを止めた。
突然現れる細い腕が未だに慣れない。
固まった此方をくすくすと笑いながら、ロビンが向かいの席に腰掛けた。
「もうすぐ、剣士さんも来るわよ。」
「へっ、」
思いがけない言葉に、間の抜けた答えを返す。
「先刻ばったり会ってね、迷って居るみたいだったから。」
「あの野郎……ロビンちゃんに迷惑かけやがって……。」
何て羨ましいんだクソ、と正直に呟く。
ロビンは尚、楽しそうに笑う。
「そんなに可笑しいかな、」
「ええ、ウィスキーピークで会った時から面白い子達とは思って居たけど。」
ロビンが片手で頬杖を突いた。
「剣士さん、港が見える所に居たのよ。其れで、まるっきり逆の方を向いて歩いて居るんだもの。」
「……あれは病気だな、一種の。」
もう残り少なくなった煙草を、今度こそ灰皿に押しつけた。
「そう言えば、コックさんはずっと船に居たの、」
「ん、ああ。食料は未だ残って居るから、そっちを先に使わねえと、」
言いかけた言葉をロビンが遮る。
「真面目なのね。」
「是も病気だよ。」
冗談めかしてロビンと視線を合わせた。
だが、つれない彼女はすぐに視線を別に移す。
「此の島、硝子が名産なんですって。船は私が見て居るから、コックさんも見てきたら、」
「有り難う。でも、俺としてはロビンちゃんとのひとときの方が貴重なんだけど。」
「謹んで辞退するわ。行ってらっしゃい。」
矢張り、つれない。
「多分、是からが一番綺麗よ。」
先刻と同じ所から咲いた腕がひらひらと左右に揺れた。
夕飯の仕込みは終わって居る。
一時間程ぶらつけば丁度言い位か、と適当に厚着をして港に降りた。
最後の、ロビンの言葉が引っ掛かった。
意味深な台詞を解きながら、雪の上をさくさくと進む。
其の前方に見慣れた後ろ姿を見つけた。
ロビンが、直に帰ると言って居た筈の、
「クソ緑。」
忌々しげに発した声に、クソ緑、もといゾロが振り返る。
「お、」
其れで漸く背後のメリー号に気付いたのか、短く声を出して、決まり悪そうに眉を寄せた。
「わざわざロビンちゃんに連れて来て貰って、何で未だ迷ってんだよ、」
「誰がだ、」
ゾロが舌を打つ。
「お前。」
「何であの女に、」
何となく見えてきた。
迷子である事を指摘した所で、此の男が素直に言う事を聞くとは思えない。
更に、相手はロビンだ。
(生意気な……。)
余程反りが合わないのだろう。
ゾロは未だにロビンに対する警戒を解かない。
ロビンの方は矢張り大人の余裕と言う奴か、逆に其れを面白がって居る様に見える。
其れがゾロの態度に拍車をかけて居る様な気もするのだが。
(お茶目なロビンちゃんも素敵だ……。)
まあ、其れは置いておくとして。
他の仲間にですらゾロは己の方向音痴を認めようとはしない。
だからロビンは、
『あら、こんな時間にお出かけ、もうすぐ暗くなるから船に戻った方が良いと思うけど。宿を取って居る訳じゃ無いんでしょう、……ああ、余計なお世話だったわね。じゃあ、先に戻って居るわ。』
こんな所だろうか。
そして、後を付けて来るのに任せ、港の入り口で巻いたのだろう。
其れか、ゾロが気を抜いたか。
後は考える迄もない。
(気まぐれなロビンちゃんも素敵だ……。)
しかし、其れにしてもだ。
「お前、船降りてからどっちに進んだか覚えてるか、」
「……左。」
「良く出来ました。だったら、港に入ったら進むべき方向はどっちだ、」
ゾロが人差し指を宙に泳がせる。
「……左、」
答える顔は、何だか困って居る様に見えた。
「……お前は、下手に方向で動くよりも、船の匂いを覚えた方が良いのかも知れねえな。」
結構な出来であろう笑顔で、ゾロの肩を叩く。
「……喧嘩売ってんのか、」
「いや、割と真面目に提案してる。まあ、良いか。どうせ戻ったって寝るだけだろ、一寸付き合え。」
肩に置いた手をゾロの腕に落として、其のまま引いて歩き出した。
「良いのか、」
ゾロ自身に特に異論は無いようだが、只、沈みかけた陽をちら、と気にした。
「未だ夕飯には早えよ。其れに、一寸歩いたらすぐ戻る。」
「ふーん、」
殆ど力を入れて居なかった腕は歩いてすぐに解けて外れた。
だからと言って互いの距離や速度、何かが変わった訳でも無い。
特に気にするでもなく、空いた両手で煙草に火を付けた。
不自然に自然な感じがして、後になって少し照れた。
雪国の夕暮れは短い。
グランドラインの島なのだから、冬島だろうと夏島だろうと日没の時間は変わらない筈。
しかし、こう言う余計な所で此の海は律儀だ。
やがて家々に灯りが灯り始める。
突然人通りが少なくなった様な気にさせる雪道を何をするでもなく進んだ。
そして、ロビンが言って居た台詞に合点が行く。
硝子を名産にして居るだけあって、此の町は窓こそ鮮やかだ。
ステンドグラスの様な色彩の窓硝子は、室内の灯りに照らされ、外の白い雪を彩る。
夕飯の近い時間帯にあってか、忙しく動く人影は、其の度に雪の彩りをゆらゆらと動かした。
正直に綺麗だと思いながら、何処かで思い切り後悔している自分が居る。
(此は野郎二人で見る景色じゃねえ……)
つまらなそうに欠伸をかみ殺すゾロを横目で睨んだ。
「冬島っつっても色々なんだな、」
其れに気付いた訳では無いだろう。
だが、示し合わせた様なタイミングに驚いた。
「……ああ、そういやそうだな。」
ドラムの凍る様な寒さを思い出す。
其れとは比べものにならない程、此の島の冬は穏やかだった。
そう言うと、ゾロは低い声で、
「俺は、此位が一番慣れてる。」
其れだけ呟いた。
「……お前の生まれた所ってこんな感じか、」
「冬の間だけな。お前の方は、」
「ん、」
「北生まれなんだろ、」
「あー……、まあな。だが前にも言った通り生まれただけだ。覚えてねえ訳じゃないが、本当に俺の記憶かどうか保証出来ねえんだ。勝手に作ったイメージかも知れねえ。」
其の記憶を信じるなら、此処よりもずっとドラムに近い。
矢張り、此の島の冬は穏やかだ。
返し方が不味かったのかも知れない。
其のまま口が開けなくなってしまって、再び沈黙が互いを包んだ。
革靴に雪が踏みしめられる音に混じって、僅かな音を耳がとらえた。
「なあ、此の辺りに川って有ったか、」
口を閉ざして居たからこそ聞こえた、其の声だけで簡単にかき消えてしまう様な微かな水の音。
見える訳が無いだろうに、其れをきょろきょろと探してしまう。
ゾロはすぐに其の音をとらえて、つまらなそうに足元を指差した。
「地下水路じゃねえか、」
言われて、足元に注意を向ける。
成る程、確かに水音は下から聞こえる。
相変わらず、獣の様な男だ。
「本当だ、」
雪の下から、絶え間なく聞こえる水音。
其れは何故か、春を連想させた。
「何処に向かってんだろ、」
声に出すつもりは無かった。
ふと、浮かんだ戯れ言に、ゾロは訝しげな顔をした。
「海か川だろ。」
何を今更、表情がそう言ってくる。
何だか、腹が立った。
「うっせえ、ロマンのかけらもねえ奴に言ってねえよ。」
「下水に求めるもんか、それは。」
溜め息と共に、ゾロが至極尤もな事をツッこんだ。
確かに。
うっかり物凄く恥ずかしい事を口走った様な気がする。
「……」
其れに絶えかね、黙り込んで歩き出す。
二、三歩程の間を開け、ゾロも足を進めた。
背中の向こうは見えなくても、嫌な笑みを浮かべて居るであろう事は気配で分かった。
寒さの為だけでは無く、頬が火照る。
少し早くなった歩調が水の音を掻き消した。
其れなのに、耳には未だ絶え間ない音が聞こえる。
「本音、かしら。」
ふと、ロビンの声が蘇った。
そう言えば、少し、似て居る。
「水音。」
呟いた言葉をゾロが捉えた。
「何だ、」
「下船する前に、ロビンちゃんに聞いたんだ。」
「コックさん、」
彼女の腕に送り出され、ドアを開けかけた所で呼び止められた。
「おかしな話だけど、恋愛って、感情じゃないのね。」
頬杖をついて、伏し目がちに前を見る。
大人びた、では無い、大人の表情に少し、ドキリとした。
「どちらかと言うと、行為に近いのかしら、」
「……感情を伴うから、って事かい、」
「そう言う事。まあ、感情は其の他の感情を伴わない、と定義すればだけど。」
「恋に戸惑い、恋に笑い、愛に泣くってね、」
芝居めいた台詞をロビンが笑った。
「でも何で突然、」
「貴方達を見て居て思ったのよ。」
「……お気づきでしたか。」
「隠しても居ないくせに、」
ずっと大人の中で生きて来たから、こんな遣り取りは嫌いじゃない。
探り合いの様な会話は、そう言えば随分久し振りだった。
「まあ、おおっぴらにするものでも無えしさ、」
「羨ましいわ、」
「でしたら、お相手に俺は如何ですか、レディ。」
「結構よ、本当は大人の方が独占欲は強いんだから。」
話はお終い、と、テーブルに咲く花が増えた。
「じゃあ、最後に。感情じゃ無いなら、貴方にとって恋愛は、」
「……そうね、」
ロビンは此方に視線を向けたまま、再び眼を少し伏せた。
「本音、だってよ。」
さく、足元の雪が音を立てた。
「あーっ、ミステリアスな所も素敵だロビンちゃん。」
「……で。何でんな話になったんだ。」
尋ねるゾロの仏頂面に顔を顰める。
「うるせえ、何でもねえよ腹巻き。ちっと似てると思っただけだ。」
「……あ、」
ゾロの周囲に、大量の疑問符が見えた気がした。
「水音。」
「似てんのか、」
「字がな。」
「……ああ、成る程。」
やっと分かったか、と笑うと、ゾロに頭を小突かれた。
「説明が足り無すぎるんだよ。」
「お前に言われたくない。」
言い捨てて、歩みを早めた。
港町をぐるっと一周。
もうすぐ港に着く。
「本音ねえ、」
ゾロの声にほんの少し、心臓が鳴った。
気付くだろうか、
気付くだろうか。
きっと、あのクソジジイでもそう簡単には気づけない。
「其れでか、」
「何がだよ、」
「今日は妙に扱いにくい。」
「なあ、先刻の答え、あれはどうだ、」
何でも無い事の様に、ゾロは指の向こうに話を移した。
其処には一本の街路樹。
落ちてしまった葉の代わりに、枝には雪が積もって居た
傍らの家の窓硝子は鮮やかな緑色で、其の光が照らすのは枝の上の雪。
「春。」
「なあ、」
「何だ、」
「後で、お前の島の話、教えろ。」
「……別に構わねえが、何でだ、」
「ちっと羨ましかっただけだ。」
四季を持つ、お前が。
此も、感情だろうか、
| 地元雪国にて、母の店で店番しながら書きました。 冬は大嫌いなのですが、気が付くと冬の話を書いている自分に気付きます。 そう言う血なのかも知れません。 |