28.記憶







 其れは秋ももう終わりに近付いた夕暮れの事である。
 其の日得た僅かばかりの賃金と、仕事道具が入った擦り切れた袋を手に家路について居た。
 秋の西日は夏のものよりも強い、とは言うが、もう此の時間になってしまえば其れも唯の色になる。
 レンガ造りの町並みを赤々と染め上げる夕日を、男は素直に「見事だ」と感じた。
 平生、朝晩其の前を通る教会に差し掛かる。
 昼間見れば少し日に焼けた白い壁も、此の時刻だけは違った姿を見せる。
 美しいステンドグラスが東に向いて居る事を、此の時ばかりは惜しい、と思った。


 其の時、まるで見計らった様に教会の横の門がギイ、と錆びた音を立てた。
 珍しい、と男は首を傾げた。
 共同墓地に続く此の門は、町中で開かずの名で呼ばれて居た。
 怪談めいた理由が在るのではなく、単に金具が錆び切って居るのだ。
 其れが、いとも簡単に音を立てた。
 ついに牧師が重い腰を上げたのだろうか、男は門の中を覗き見た。
 ギイ、
 風も無いのに、門がもう一度、誘う様に音を立てた。


 明け方と夕方、此の時だけは河原と峠、そして墓場には近付いちゃいけない。
 どうしても用が在るなら、むしろ夜の方がましだ、気を付けなければならない決まりは山程在るけれど。


 遠い異国の生まれである祖母の言葉を思い出した。


 ギイ、ギイ、ギイ。
 錆び付いた金具が男を急かす。
 男が恐る恐る手を触れると、愕く程簡単に門が開いた。


 落葉樹の生い茂る共同墓地は、赤色の葉で埋まって居た。
 大量の落ち葉を挟んだ土の感触に眉を顰める。
 東の方角を見れば、教会は未だ赤々と色付いている。
 男自身も同様であろう、気温は下がって居るとは言え、顔の皮膚が火照った感じがした。
 不意に男は己の右手を見た。
 先刻門に触れた部分が、錆の所為で赤く汚れて居る。
 気が狂う程の赤色の洪水に、男は言葉を失くした。


「どうした、」
 飄々とした声に男は顔を上げる。
 其処には、金色の髪の毛を夕日に染められた青年が立って居た。
 此方を真っ直ぐに見る目だけが、青い。


「誰だ、」
 男が問う。
 小さい街だ、此の青年が余所者である事は直ぐに分かった。
 しかし、其の面影は何処か見覚えが在る。
 最近、人死にが出たと言う噂は聞かない。
 ならば、墓荒らしか何かだろうか、男はそっと、手に持った袋の紐を緩める。
 小さいが、中には刃物も入って居る、丸腰よりはましだろう、と男は息を詰めた。
「聞きたい事が在る。」
 男の考えなどお見通しだと言う様に、青年は口元に笑みを浮かべた。
「其の前に俺の問いに答えろ、お前は誰だ、何をして居る、」
 其の笑みにかっとなって、男は一歩、青年に近付いた。
 けれど、青年は顔一つ変えずに、
「其れは、お前にとって必要な事じゃない。聞きたい事は一つだけだ、良いから答えろ。」
 青い目で男をじいっと見た。


「此処に来るのは何年振りだ、」
 可笑しな事を聞く、男は首を傾げた。
 馬鹿馬鹿しい、気を張った自分を笑う。
「十年だ。」
 恐らく青年は狂人か、其れでなければ唯の愉快魔だ。
 付き合うのも馬鹿馬鹿しい。
 男は事実を答えた。
「此処の所俺の周りでとんと人が死なないからな。十年前が最後だ。」
 そう付け足すと、青年は先刻とは種類の違う笑みを浮かべた。
「そうか。」


「全く、ケダモノの脳も楽じゃない。保険を掛けておいて正解だったな。」


 びゅう、と、一陣の風が吹いた。
 地面の落ち葉が舞い上がり、男は思わず目を閉じ、顔を腕で覆った。


「時計役の礼はもう払った。十年間、お前は此処に来る用が無かっただろう、後は精々、親孝行でもすると良い。」


 風が止んで目を開けると、其処には赤々と染まる無人の墓地が在った。
 男は何かに追い立てられる様に、墓地を後にした。





 西の陽