雷鳴過日





「うあー……。」



 思ったよりも近くで、力の抜け切った声がした。
 声、と認めてしまうのは、少々全人類に対して申し訳ない気もする。
 だが、自分に至っては正直声も出ないのだから、未だましな方かも知れない。

 此の偉大なる航路にあって、有能な航海士を持ってしても予測不能な時化など日常茶飯事だ。
 向こうにすれば、此方の体力など其れこそ何の関わりも無い。

「……丸三日間なんて……冗談じゃないわよ……」
 キッチンの前の手摺りに寄りかかりナミが呻く。
「久し振りに……あんた等がバケモノで良かったと思ってるわ。」
 悪かったな、そう言おうと口を動かすが、矢張り音にはならない。
 見回した甲板には同様にクルー全員の死体が転がっていた。

「サンジ……腹減った……」
 此の状態で未だ食欲が有るのかと、全員の目がルフィに集まった。
「……キッチンの……シンクの下に握り飯隠してあっから……」
「隠すなよ。」
 よろよろとウソップの腕が裏拳の様に動く。
 此が芸人魂というヤツだろうかとトチ狂った事を思った。



 船を動かすのは一眠りしてからにしようと、誰もが空気で其れを訴え、
 其の間の見張りを買って出たのはサンジだった。
「動くのは正直しんどいけど、眠い訳じゃないから。」
 クルーの中で一番長い時間を海で過ごして来た男は、そう言って笑った。



「……で。思い切り寝てんじゃねえかよ。」
 其れから数時間、何の為の雑用かとナミに叩き出され、覗いた見張り台でサンジが寝息を立てていた。
 片腕を伸ばして、手近な頭を揺する。
「寝るなら下で寝ろ、変わってやるから。」
「うー……うあ、寝てたか……。」
「おお。下行って手前も寝て来い。」
「うーんん……」
 ぱき、と良い音を立ててサンジが躰を伸ばす。
 此の狭い中で眠っていたのだ、無理も無い。
 ストレッチの終わりと回答を待ちながら、からりと晴れた空を見上げる。
「晴れたな。」
「……ん、ああ。皆は、」
「未だ寝てる。」
「……っか。お前見張り変わってくれんの、」
「言ってんだろ。」
「ん、」
 最後に組んだ両手を上に伸ばして、気が済んだのかサンジがストレッチを止める。
「あー……漸く目が覚めてきた……。」
「珍しいな。」
「お前程じゃ無えよ。」
 拗ねた様に顔を顰めて、見張り台の木枠に腰を下ろす。
 悪かったな、と言い返し、空いたスペースに同じ様に腰掛けた。
「どうする、何か軽く食べるか、」
「いや、今は要らねえ。其の代わり夕飯の量増やしておいてくれ。」
「了解。」
「散々だな、」
 唐突な言葉に、サンジがきょとん、と此方を向く。
「今日。」
「……何かあったか、」
「誕生日だろ、お前。」



 次にサンジが動き出す迄、少なくとも三十秒の間が有った。



「お願いですからそんなもん覚えてないで下さい。」
 深々と頭を下げられる。
「うるせえお前もやったんだから俺にも祝わせろ。」
「うわー何か凄い事言ってるよ此の人ー、」
「良いから手前其処直れ。」
「良いのは俺じゃなくてお前だけだと思うなあ。」
「直れ。」
「……ハイ。」
 サンジが木枠に座り直す。
 其れと同時に、此処に来る迄は思ってもみなかった覚悟を決めた。



 ポケットに忍ばせたのは時化になる寸前。
 ナミの急かす声に隠して、ウソップに口止めした。
 本当は、黙って混ぜておくつもりだったのだ。



「やる。」
 サンジの手に放った、チェスのコマ。
 前にサンジが無くしたと騒いでいた黒のナイト。
「……見つけたのか、」
「いや、ウソップに頼んだ。いつ迄もサイコロじゃ格好悪いだろ。」
「……ああ、」
 有り難う。
 聞こえるか聞こえないかの声でサンジが言う。
 其れが何故か、妙に可笑しかった。
 其れにつられる様に、サンジも笑った。



「なあゾロ、お前、嵐って好きか、」
 掌でナイトを玩びながら此方を見る。
「……好きでは無え。」
「まあ、一般論だな。」
 サンジの顔に穏やかな笑みが浮かぶ。
 そうして、何を思ったのかおもむろに靴を放って立ち上がり、其れを両手に引っ掛けた。
「俺は大嫌いだった。トラウマってヤツも有ったし、其れ以上に憎んでた。」
 右足を木枠にかけて、一呼吸置き、
「今は、」
 右足が木枠を蹴った。



 とん、と軽やかな音でサンジはヤードの上に着地する。
 とん、とん、とん、勢いを殺す様に、三歩、小走りで進む。
 殆ど乾いているとは言え、時化の直後のヤードだ。
 くるり、足を軸に半回転して此方を振り向くサンジに一つ、溜め息を吐いた。
「なあ、嵐の後って、どういう訳か気持ち良い位晴れるだろ、」
「ああ、其れがどうした、」
「だから、今は別に嫌いじゃねえな。」
 そうして浮かべられた、満面の笑み。



「少なくとも、お前位には。」



 呼吸三回分、頭の中が空っぽになって、
 気付いた時にはヤードに人影は無く、
 下の方からドアの閉まる音が聞こえた。



サンジさん誕生日祝い。
第三弾は剣豪です。
あーもー何だ此の馬鹿ップル……。