walter walker

ひたり、と頬を打つものが有って、目を覚ました。
熱帯夜の事である。
ハンモックを挟んで向こうに、サンジが寝ていた。
原因を探す様に、其れを眺める。
ひたり、
又、先刻と同じ所を何かが打った。
其処に手を当てて、気付く。
つ、と頬を流れた其れは、生暖かい液体だった。
だが、気温と共に上がった体温の為に、ひやり、と皮膚の一部だけ温度を奪って消えた。
見上げたサンジの瞼から、同じ様に、液体が溢れた。
ぽた、
今度は、自分を逸れて床に落ちた。
(泣いている、)
流石に起こった動揺は、しかし、形となる前に別のものに変わった。
突然の熱帯夜に鼾をかく元気も無いのか、男部屋はいつに無く静かだった。
其れなのに、サンジからは寝息しか聞こえてこない。
嗚咽はおろか、息一つ乱さず、涙を流している。
眠りの邪魔をされる事も無く。
不規則に落ちる其れが、涙なのかも分からなくなった。
ひたり、
其れが、今度は唇の近くを打った。
真水の味がした。
「泣くとかそう言うんじゃなく、涙が出るって事はあんのか、」
翌日、
昨夜の事にサンジは気付いていない様だった。
其の様子を見て、本人を諦めて医師に見解を求めた。
「……疲れ目、」
至極真面目に、医師は首を傾げた。
返ってきた答えは、疑問符が付いていた。
自分が気にする事ではあるまい。
其れは、分かっている。
だが、真夜中、本人にすらも気付かせずに涙を流す其の姿は。
今宵も、暑い。
昨夜の事もあって、真夜中を越えても寝付く事が出来ずにいた。
そして、サンジは今宵も真上を寝床にしていた。
ひたり、
うとうとと眠りかけたのを咎める様に、水が頬を打った。
又か、
ふ、と目を開ける。
昨夜と同じ様に、サンジの瞼の間から、其れは溢れ出す。
やはり、サンジは只、眠っていた。
ひたり、
時々、自分に落ちてくる其の水を、何をするでもなく眺めていた。
と。
気配の変化に、慌てて目を閉じた。
後から思えば、起きたばかりの人間が、暗闇に慣れた自分と同じ様に見る事など出来ない。
無駄な行為ではあった。
ぎしり、とハンモックを軋ませ、サンジが起き上がる。
頬を濡らすものに気付き、其れに手をやった。
沈黙を、待つ。
「……んだ、こりゃ、」
訝し気に呟いて、サンジはハンモックを降りた。
こつこつ、と革靴を響かせ、男部屋を出ていく。
入り口が閉まる直前に、小さな呟きを聞いた。
「……ああ、もうそんな時期か。」
ドアが閉まる音と同時に、目を開ける。
気付いてしまった。
何となく、そう思った。
そして、サンジ自身の言葉を反芻する。
時期。
心当たりは有るのか、
僅かな躊躇を感じながら、起き上がる。
時刻は恐らく真夜中。
だが、ふと目を覚ました自分が、寝酒を求めてもおかしくはない頃だろう。
人気の無い甲板には、必要以上に音が響く気がする。
見上げたキッチンには灯りは見えない。
此処から見えないとすれば、後部甲板だろうか、
響く足音を気にしながら、階段を上った。
求めた人影は果たして後部甲板に見つけた。
此方に背を向け、海に身を乗り出す様にしている為、其の表情は見えない。
「 」
音は立てずとも、気配で気付いたのか、サンジが振り返った。
「どうした、」
其の声は、其れ迄涙を流していた者の其れではなく、眼も、いつも通りの色だった。
只、眼の周りや頬に、無理矢理拭った様な跡があった。
「暑ィからな、眼が覚めちまった。」
何となく考えていた言い訳を口にする。
「そっか、」
呟いて、サンジは手摺りを背に、此方に向き直った。
「お前は、」
「似た様なもんだ。……しかし、意外に繊細な所もあるんだな。嵐でも起きねえくせに。」
「ほっとけ、」
くすくすと笑うサンジに、顔を顰める。
特に、変わった様子は見られなかった。
だから、其の次の瞬間は、本当に驚いた。
ひたり、
サンジの眼から、一筋滑り落ちる。
ひたり、
ひたり、
ひたり。
見開いたままのサンジの眼は、やはり泣いている人間の様には見えなかった。
只、水だけが流れる。
「……おい、」
見られた、
そんな表情をサンジはした。
其れに、幾分かの後悔を感じ、慌てて頬を拭おうとした腕を引き止めた。
「何……」
「何なんだよ、お前は、」
驚いた様なサンジの言葉を遮る。
「……は、」
ぽかんと、なったのが分かる。
分からないでもない。
「訳分かんねえ。一体、何なんだよ、」
「何意味不明な事言ってんだ、大丈夫か」
眉を顰めるサンジの頬が又濡れる。
其れが気にくわなくてサンジの頭を引き寄せた。
少しの間があって、諦めた様にサンジが溜め息を吐いた。
「取り敢えず、放せ。説明してやっから。」
「いつからだったかは覚えてねえ。此の時期になると、毎年こうなる。
俺の意思とは関係ねえ。無意識っつうのも、何か違う気がする。
まあ、見ての通りだ。
生理現象ってのが一番しっくりくるかな。
理由は分からねえが、原因は一応分かってる。
原因を考える限り、何となくどうしようも無え気がするから、放っておいた。」
淡々と、サンジは語った。
其の間も、サンジの頬は時々、濡れた。
「原因、」
「あーまあ、随分前の此の時期に死にかけたんだわ。」
まるで、世間話の様に言う。
「多分、其の所為だ。毎年毎年決まって此の時期なんだが、他に思い当たるものもねえ。」
「……」
「自分で自分を納得させたくて、無理矢理仮説とか立ててみたりもした。今じゃ、もう行事みたいに思ってるけどな。」
いつもの、皮肉った笑みを浮かべる。
「聞くか、」
「ああ。」
聞いた所で、此のやたらと複雑で単純な男を理解出来るとも思えなかったのだが。
「言ったっけか、俺、海難事故に遭ってんのな。其れ迄乗っていた客船が沈んだ。
……や、客船があの後どうなったのかは正確には分かってねえ。
兎に角、俺は海に落ちた事がある。嵐の中で。
だが、見ての通り、俺は生きてる。
何処ぞの馬鹿が俺を助けた。
多分、其の時なんだろうな。
少なくとも、あの人は俺の見える所は全て掬い上げてくれた。
だが、俺は何か眼には見えねえもんを其処に落として来た気がする。
海の底に、俺のもう一つが沈んでんのさ。
其れが、多分真水を求めている。
幾ら海で育った俺でも、海水だけじゃ生きていけねえ。
信じるか、今、俺の眼から出ている物は紛れもねえ、真水だ。
俺は、何処かの海に沈んでる自分の為に、真水を流すんだ。」
「信じるか、」
語りきって、サンジは此方を真っ直ぐに見る。
其の眼は、嘘をついている様には見えなかった。
「疑っている訳じゃねえが、腑に落ちた訳でもねえな。」
正直な所を口にすると、「だろうな、」とサンジは笑った。
「矢張り、お前は訳が分からねえ。」
「安心しろ、俺だって、まさか年中こんな事考えてる訳じゃねえよ。」
軽く、左目に手をかざす。
「此だけは、仕様がねえんだ、」
其の、静かな微笑に、たまらなくなった。
先刻と同じ様に、サンジを抱き寄せる。
「……おいー、」
肩越しに、呆れた様な声が届く。
「分かったから、其れ、止めろ。」
「……分かってねえよ。だから生理現象だって……」
「今は無理だから後回しになっちまうが、其の内引き上げてきてやるから。」
「……うわ。」
色気も何もない其の返事が、何だからしくて、笑えた。
| 原案は結構昔です。 イベント中にネタを作ったような…… 一番始めのシーンに全力をつぎ込みました。 |