私と志と思と死

目覚めて暫くは其れが夢だと分からなかった。
一変した目の前の風景に漸く気付いて、一つ、息を吐いた。
(…夢か。)
二、三回溜め息を繰り返して、漸く此処が後部甲板である事を認識した。
月の高さを見る限り、夕方よりも夜明けの方が近い時刻である。
一体、いつも間に眠っていたのか、いつもの事とは言え。
「 」
被っていた毛布に気付き、首を傾げた。
自分でやったとは思えないから、気付かぬ内に誰かが掛けたのは間違いないが。
しかし、其の思考は、頭上から振ってきた声に中断させられた。
「いよっ。」
見上げた所にいたのは、手摺りに寄りかかって、腹が立つ程嬉しそうに笑う、
「…お前かよ。」
忌々しげに呟く。
よりによって、よりによってだ。
「いっやあ良いもん見たなあー、」
にやにやと、擬音が聞こえてきそうな程の笑みを浮かべ、サンジは腕を組む。
「夢にうなされる大剣豪なんてな、」
「 」
やはり、見られていたのかと頭を抱えた。
「手前、性格悪いぞ…、」
せめてもの反撃にと低く呟いた文句も、
「お、何だ今更気付いたのか、」
随分と楽しそうに一蹴された。
丸一週間は笑いのネタにされるのだろうと思うと、例えでも何でもなく頭が痛くなった。
「其れで、」
不意に、サンジが静かに呟いた。
「…」
「一体、何の夢見てたんだ、」
「…」
其の一言で、全て蘇った。
「手前が死ぬ夢。」
サンジが、小さくふうん、と呟いた。
「其れで、」
言うつもりなど、無かった。
しかし、余りに自然なサンジの様子が、簡単に口を割らせた。
「多分、どっかの港町だ。いつも通り、海賊か賞金稼ぎかが喧嘩売ってきて、いつも通りに其れを買って、」
「勝ったんだろう、」
「ああ、何分もかからなかった。途中で雨が降り始めて、さっさと戻ろうと言った所で、」
自分は、此程弱い人間だったのだろうか。
「銃声が、した。」
サンジがまた、ふうん、と呟く。
「未だ、意識が残っている奴がいた。そいつが、倒れたまま撃った銃弾が、お前に当たった。」
其の情景は、現に戻った今でさえ鮮やかに思い出せる。
夢を見ていたと言う事ですら、覚えているのは希だというのに。
「雨の音しか聞こえなくなった。」
自分は一体、何を話しているのだろうと、思う。
「手前の心臓貫いた傷に手を当てて、馬鹿にしたみてえに少し、笑って、言ったんだ。」
そう、サンジが今、浮かべているのと同じ笑みだ。
『嘘だろ、』
呆然と立ち竦むだけだった。
雨に打たれ、掌を滴り落ちる血液を見つめて、他人事の様に言うサンジを、見続ける事しか出来なかった。
瞬きすら、忘れて。
力を失って倒れ込んでくる体を無意識に受け止めて、確かな体重に、怯えた。
『なあ、』
伏せた目で、再び血まみれの掌に目を遣った。
『嘘だろう、』
また、同じ事を呟く。
何も言えなかった。
雨の所為で、サンジの体も、自分の体もきっと冷たい。
其れなのに、サンジの背中に回した掌だけが、焼け付くように熱かった。
『…ゾロ、』
サンジが目だけを動かして此方を見た。
呆然と立ちつくすだけだった。
雨音ばかりが聞こえた。
話しながら、いつの間にか堅く目を閉じていた。
「なあ、ゾロ、」
相変わらず静かな声に呼びかけられ、顔を上げる。
声音と同じ様に静かに微笑むサンジの向こうに薄い月が見えた。
「俺はさ、言うと思うよ、其れ。」
似ている、と思った。
何に、
「嘘だろ、…やっぱ言うだろうな。」
潮風が髪を撫でる。
「なあ、ゾロ。お前は、死を実感した事があるか、」
「 」
「無えと思うよ。多分、お前がしているのは実感じゃなくて覚悟だ。」
サンジが言っている事は多分、合っている。
「お前が思っているより、死は絶対だよ。」
サンジの過去は全く知らないが、其の台詞は口先のものとは思えなかった。
多分、こいつはあるのだ。絶対的な死を、実感した事が。
「ガキの頃にな。」
答える様に、サンジが言った。
「そうか、」
其れしか言えなかった。
沈黙が空気を包んだ。
「今までずっと言い忘れてたんだけどさ、」
沈黙を破ったのはサンジの方だった。
「何だよ、」
「…いやあ、まあ、今更言わなくてもな、とも思うんだけどよ、言わないままってのも気持ち悪いから。」
「だから、何だよ、」
「俺、お前の事、実はめちゃくちゃ好きなんだわ。」
余りにもあっけらかんと言うのに驚いた。
何処かで今更、と思っている自分に気付く。
そして、今更、気付いた。
済し崩しの関係の中で、其れを言葉にした事は、お互い、一度も無かった、と。
「…何だよ、そりゃ告白か、」
目を合わせるのも不自然な気がして、自分の足元に視線を落とした。
「…んーや、」
僅かに笑いをにじませた声でサンジが言う。
「カミングアウト、」
何処が違うんだよ、
そう言おうとして、顔を上げる。
「 」
其処には、何も無かった。
「おい、」
首を巡らす。
サンジの姿は見えない。
あれだけの時間で移動出来る距離などたかが知れている。
なのに、
「おい、」
背中を、嫌な汗が伝った。
手摺りに手を掛け、海を見る。
ぽつり、
其の甲を、滴が打った。
ぽつり、
ぽつり、
静かに、雨が降り始めた。
お前が思っているより死は絶対だよ。
逆らえるものじゃ無い。
否定する事しか出来やしないんだ。
雨は強さを増した。
雨音ばかりが聞こえた。
「 」
全てを飲み込む様に、雨は降り続けた。
次へ?